Sculpture in the Room|作品リスト
【プロフィール】
アレクサ・デア|ALEXA DAERR (1946-)
1946年、パリに生まれ。6歳のときに初めての本をつくる。パリの美術学校を卒業し、水彩画とテキスタイルに身を置きながら、外交官の夫とともに日本、パキスタンなどの様々な国に住む。特に、1988年から過ごしたナイジェリアで、立体的な作品への関心が高まり、90年代からART BOOK-アートブックを手がけるようになる。これまでにニューヨーク、パリ、ベルリンなどのアートブックフェアやギャラリーで作品を発表。
ゲルマン・シュテークマイヤー | German STEGMAIER (1959-)
1959年、ドイツのミュールドルフ生まれ。ドイツ、ミュンヘン在住の画家・ゲルマン・シュテークマイヤーは絵を学び始める前、ミュンヘン大学で純粋数学と科学哲学を学んでいた経歴を持っています。彼にとって絵を描く行為そのものもまたその道に続いています。ゲルマンが描く油彩の一つの特徴として、ひとつの作品は数年に亘って描きつづけられ、やがて画家の手を離れて自立するとき何層にも重なった絵の具のなかに、絵は生まれるのです。同様に、ゲルマンの絵画において「グレー」という色は非常に重要な役割を持っています。光そして色を反射し、時に吸収するグレーは、私たちが静かに自分の裡を奥深く見入る装置ともなり、同時に思考から解放され無重力空間にいるような浮遊感へと誘ってくれます。
関島寿子|Hisako SEKIJIMA (1944-)
1966年津田塾大学英文科卒業。1975年、夫の赴任地であるニューヨークに移る。ニューヨークの美術館やギャラリーを通して、古来からの編み技法をじっくりと研究する機会を得た。米国の現代編み技法(バスケタリー)の最先端アーティスト(エド・ロスバック、ジョン・マックイーン)との出会いによって、初めてバスケタリーへの目を開かれる。このアーティスト達が、古来の編み技法をマスターしながらも、やがて自らの斬新的な手法を見出して行くのに魅力を感じ、この時から、バスケタリーのみに専念するようになる。多種多様な天然素材との取り組み、奇抜な編み構造を生み出す豊かな着想力、絵画的な想像力、作品の日常性と非日常性。今日、関島寿子は世界的なバスケタリーの第一人者である。
角 偉三郎|Isaburo KADO(1940-2005)
石川県輪島生まれ。15歳で沈金(漆に細い線を彫り、そこに金を施す技法)の名人、橋本哲四郎の下に弟子入りする。1962年に修業を終えると、角は沈金技法を用いた漆のパネル、絵画風の作品の制作に取り組んだ。アメリカの前衛美術や、クレー、カンディンスキーに強い影響を受け、現代漆芸に没頭する。24歳で日展に初入選したのち17回入選、30代で日展特選となる。
1970年代の初めごろ、角は能登半島の柳田村の寺で、古い、置き忘れの合鹿椀と出会った。この力強くてシンプルな椀に魅せられて、次第に「うつわ」としてのぬりものに関心を持つようになる。1982年、角はすべての作家活動から退き、初めて椀だけの個展を開く。角の仕事の軸になっているのは、輪島のぬりものである。角はこの伝統を、たしかな芸術的感覚で、自由にのびのびと現代に生かした。
ルッツンベルガー+ルッツンベルガー| Lutzenberger + Lutzenberger
Susanna とパートナーであるBernhardによるユニット。Susannaは1963年バートライヘンハル生まれ。ヨーロッパの織物工房で働いたのち、シュトゥットガルト芸術大学でテキスタイルデザインを専攻。Bernhardは1958年アウグスブルグ生まれ。州立の宝飾専門学校で 銀細工を学んだのち、金属の工房を設立。その後、アジア、北米、メキシコを旅して Susannaとユニットを組む。1991年よりドイツを拠点としながら、プロダクトデザインから、 アー ト、インテリア、建築まで幅広い創作活動を行う。近年の活動の中心は、 アートと建築を融合させる主に聖なる空間のプロジェクトが多く、国内外から非常に高い評価を受けている。
1991年のユニット設立以降は、シルバーやステンレスによるフラワーベース、エスプレッソマシーン、燭台などのプロダクトデザイン、木をはじめとした自然素材を用いた家具、建築、展覧会の会場デザインなどを手が ける。2000年以降は、ミュンヘンやアウグスブルグなどドイツを中心としたヨーロッパの教会や病院の中の礼拝堂などへ、祭壇、典礼家具、典礼用具など教会におけるインテリアやプロダクトのデザインから祈りの部 屋、壁画、ファサード、内陣など聖なる空間や建築のデザインを手がけるようになる。
オットー・バイヤー|Otto BAIER(1943-)
1943年、ミュンヘン郊外に550年続くドイツ最古の鍛治工房に生まれる。高校を卒業したあと、鍛治技術を学ぶ。1965年にアーヘン工科大学に進学、1968年の卒業とともに、鍛治工としてマイスター資格を取得し、1972年に工房を受け継いだ。以来、十字架や燭台、聖櫃などの教会のための仕事、そして噴水、鉄柵、日時計、門扉などの建造物、それから暖炉道具、ロウソク立て、トレイや鉢などの道具を手掛けてきた。工房には、鈍色の鉱物たちが棚に収められ、何十種ものハンマーやハサミが整然と並べられている。主人のいない工房は、インスタレーションのように饒舌で、水墨画を見るように、豊かな光に溢れている。オットー・バイヤーはドイツだけでなく、世界で最も著名な鍛治職人の一人であり、82歳の今も現役で鉄を打つ。
李英才 | Young-Jae LEE(1951-)
1951年ソウル生まれ。ソウルのスードー女子大学で美術を専攻した後、韓国内で陶工としての修業の場を探したが、当時、女性を弟子入りさせる工房はなく、ドイツのクリスチーネ・タッパーマンの下に弟子入りした。ドイツでの生活やアーティストたちとの様々なつきあいを通じて、ドイツに残りたいと考え、ヴィスバーデンの応用科学大学に入学して陶芸とデザインを学ぶ。1978年に卒業すると、ハイデルベルク近郊のザンクトハウゼンに自分の仕事場をもった。1987年には、エッセンにある工房マルガレーテンヘーエの代表となる。工房マルガレーテンヘーエは、1924年、バウハウスの影響下に設立され、ドイツで一番古い陶芸工房の一つに数えられる。工房の代表としての職務のかたわら、李英才は自らの陶芸を磨き、芸術としての陶芸に取り組んできた。かたちを、円筒形と球形という基本的形体に純化し、花びんや鉢をロクロで引いて、自らが設計した薪窯で焼いている。李英才のものづくりの焦点は、ヨーロッパや東アジア古来のやきものの伝統を踏まえながら、うつわを彫刻的作品として捉えようとするところにある。