角有伊 角偉三郎 ぬりもの

角有伊 角偉三郎
ぬりもの

Yui KADO, Isaburo KADO | LACQUER WORKS

2021年12月3日(金)- 12月20日(月)

11:00 - 18:00 火曜定休
角有伊さん在廊:12月4日(土)− 12月5日(日)

VIEWING ROOM

本展につきましては、ビューイングルームの公開はありません。

Instagram
本展の様子や作品を、Instagramからご覧ください。

2021年の展示会は、角有伊、角偉三郎による「ぬりもの」で締めくくります。

美術家、角偉三郎の感性が漆器に出会わなければ、現代の塗り物は退屈な遺産のひとつになっていたかもしれません。1980年代、木地を剥き出しにして見せたり、下地の布目が凸凹している中塗りの状態を完成とした「塗らない塗り物」を発表したとき、生まれ故郷の輪島は彼を異端と片付け、背を向けました。けれども、偉三郎による塗り物の解体と創作は、輪島の漆職人の家に生まれた彼にとって、「なぜ漆を塗らねばならないのか」という問いから始まった、自身の内側に深く向き合うプロセスからごく自然に生まれたものでした。

「漆芸」で人気を博した美術家としての成功を断ち、自らを職人として「塗り物」を作り始めた偉三郎は、ハレの日にしか使われない雅な漆器のイメージを根本から覆し、「木と漆」だからこそ生み出すことができる造形を次々と発表し続けました。それらはすべて、お椀、お盆、お重や酒器など、主に日用使いとして毎日の生活のなかで使われる道具でしたが、創作の種類を数えることが難しいほど、多彩な造形に広がりました。板を曲げることで生まれる図面では表現できないやわらかな曲線、へぎ板を継いで盤にしたり、わざと手痕を遺したような乱暴な塗り方も、常に孤りの心に身を置いた偉三郎の好んだ手法でした。

偉三郎は道具は使われてこそ完成することを信条に、「作品」と呼ぶことを拒否しつづけました。だとすれば、ひとつひとつの存在感を前にしたときの心地をどう言いましょうか。小さな盃から重厚なお重、三方のような非日常との境界線にある道具に至るまで、見る人使う人を魅了せずにはいられない完成度の高さと包容力。まるで花や海や山が私たちに教えてくれるような感じる心。通じ合う気持ち、その物語。

偉三郎のものづくりの姿勢は、息子の角有伊さんがはっきりと受け継いでいます。形や技術の継承は、過去の作品を上からなぞることでは成立しない厳しい道のりに違いありませんが、父が掘った深い創作の泉から、今なお清らかに水が流れ続けているのは、他ならぬ有伊さんが、穏やかに、ぶれずに、自身も創作の泉を掘する卓越した作り手であることの証明でもあります。漆の巨人が遺した圧倒的な造形へのエネルギーと、その継承者との言葉なき対話は、今も続いています。展示会では、角有伊が継承したお椀やお盆、お重や朱器などをたっぷりとご用意するとともに、偉三郎の遺作を展示販売いたします。


角 有伊|YUI KADO

1968年石川県輪島市生まれ。高校を卒業して四代目須田菁華の元で陶芸を学び、器の根底を探る修行を経た。2003年、父の偉三郎、角漆工房の仕事に入る。角偉三郎美術館の開設にも尽力。2005年、角漆工房の代表となる。以来、毎年各地で多数の個展を重ねながら、偉三郎の遺した仕事を受け継ぐとともに、自身の漆の道を探求する。

角 偉三郎|ISABURO KADO
1940年石川県輪島市生まれ。中学校を卒業して後、15歳で沈金の名人、橋本哲四郎の下に弟子入りする。1962年に修業を終わると、角は沈金技法(漆に細い線を彫り、そこに金を施す技法)を用いた漆パネルなどの絵画風の作品に取り組み、アメリカの現代美術に強い影響を受けながら、現代漆芸に没頭する。その後はアーチストとして数々の賞を受けて日展無鑑査となるが、1970年代の初め、能登半島の柳田村の寺で、古い置き忘れの合鹿椀と出会った。この力強くてシンプルな椀に魅せられて、次第にうつわとしてのぬりものに関心を持つようになる。1982年、角は芸術家としての一切から退き、初めて椀だけの個展を開く。2005年、65歳で逝去

>角偉三郎パブリックコレクション・前回の展示会についてはこちら